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南部アフリカ各国の一般情報から治安、旅行に関する情報を載せています。
下のリストの国名をクリックすると、その国の情報にジャンプします

南アフリカナミビア | ボツワナ |ジンバブエ
ザンビア | レソト |スワジランド

南アフリカ

       


正式国名 :
人口   :
面積   :


首都   :


元首   :
民族構成 :



言語   :

電圧   :

出入国  :


南アフリカ共和国 Republic of South Africa
約4690万人 (2006年)
121万9912K㎡ (日本の約3.2倍) リンポポ、ムプマランガ、
ハウテン、クワズル・ナタール、フリーステート、
ノースウェスト、北ケープ、西ケープ、東ケープの 9州から成る
プレトリア Pretoria (行政府)
ケープタウン Cape Town (立法府)
ブルームフォンテン Bloemfontein (司法府)
ジャコブ・ズマ Jacob Zuma 大統領
コーサ、ズルなどのアフリカ先住民族75.2% 
ヨーロッパ系 (アフリカーナー、イギリス系など) 13.6%
カラード 8.6% 
インド系 2.6%
英語、アフリカーンス、ズル、コーサ、ソト、ンデベレ等11の公用語
220/240V、50Hz プラグは丸型3ピン(変換プラグは空港やアウトドアショップで購入可)
3ヶ月以内の観光および業務目的の滞在ならビザは不要です。ただし出国用航空券が必要です。

歴史   :
近年発見された化石から5万年以上前にホモ・サピエンスが南部アフリカの海岸沿いに生存していたことが分かり
南アフリカが人類の歴史の始まりだと言われるようになった。15世紀の大航海時代インドへつながるスパイス・ルートを求めて初めてヨーロッパ人がこの地に足を踏み入れた時には石器時代の人類の子孫に当たるサン族(狩猟民族)と コイコイ族(農耕民族)がもともと西ケープ州に暮らしていた。

17世紀半ばに東オランダインド会社がケープタウンを食糧補給地として開拓し始めた頃には国の東側にはバントゥー系の人々が住んでいた。現在のケープタウン周辺にはオランダ、フランス、ドイツからの移民が入り、アフリカーンス語を話すアフリカーナーという人種が形成された。また労働力には当時東オランダインド会社の領地であったマレーシアやインドネシアなどから奴隷が輸入され、元々の先住民族やアフリカーナーとの係り合いが生まれ、南アフリカ独特のカラードという人種も生まれた。

19世紀にイギリスの支配勢力が強まってくると、アフリカーナーたちは内陸部へ移動し、トランスバール共和国や
オレンジ自由国を建設した。19世紀末には国内でダイアモンドが発見され、その支配権を巡りアフリカーナーとイギリス人の間でボーア戦争が勃発。
10年以上に渡る戦いの結果イギリスが勝ち、1910年に自治領南アフリカ連邦となる。

1948年にアフリカーナーによる国民党(National Party)が政権を握り、アパルトヘイト(人種隔離)制度が始まった。
その後イギリス連邦から脱退し共和国となりアパルトヘイトは勢いを増し、人種によって居住区を分けたグループ・エリア法、アフリカーンス語教育を徹底させるバントゥー教育法などが確立された。アパルトヘイト制度に反対する者は政治犯として重い罪を課され、ロベン島に22年間投獄されていたネルソン・マンデラ元大統領もその1人。次第に国際社会からの非難が強まり、南アフリカは孤立した存在となる。国内でもデモ、暴動などが頻発し事態は悪化。1989年に大統領に就任したデ・クラークとマンデラの間でアパルトヘイト撤廃の話し合いを進め、1990年にはマンデラを、そして1991年には全政治犯を釈放。1994年の初の民主的選挙で選ばれたマンデラが新大統領となった。

現大統領のムベキは1996年の2度目の総選挙で選ばれた。2010年にはサッカーのW杯が開催される予定。